涙は出なかった

日常

写真は、亡くなる前日のウォーキングで撮った杜若(たぶん)。

 

5月20日、長らく闘病していた母が亡くなりました。
享年78歳。満76歳。
今日日の長寿社会の中では、早いほうかもしれません。

死因は、3年前に発症した子宮体がん。
手術して子宮全摘、抗がん剤治療を経て経過観察中、今年の3月に再発が判明。
4月3日に入院。入院当初は退院の話も出ていたのに、
みるみるうちに衰弱していってしまい、5月中旬には緩和ケア病棟…
つまり終末医療へと移り、「その時」を待つだけの身に。

5月31日は母の誕生日だったのですが、暑い日が続いたせいか、
暑いのが大嫌いな母は「もういいや」と言わんばかりに
誰にも看取らせずに5月20日午前、逝ってしまいました。

実の両親を、まあまあ早く亡くしていた母は
「私は長生きしないから。お父さんをよろしくね」
それが口癖だったけど。
でも父の方が3つ年上だし、普通は女の方が長生きするんだから、
そんなこと言って、どうせ長生きするんでしょ。
そう思ってたけど。
言葉通りに父より早く逝ってしまった。

母は37歳の時に、一番の親友だった同級生をがんで亡くしていて、
「彼女の倍は生きる」が目標だったそう。
それと、両親の亡くなった歳は超えたい。
つまり、親友(37×2=74歳)、父(享年66歳)、継母(享年75歳)
すべてクリアしていた。(※実母は5歳の時に亡くしている)
「ここまで来たら、あとは80まで生きられれば儲けモンかな」
って言ってたけど、それは叶わなかった。
でも彼らの歳は超えたのだから、胸を張って天にいけたのではないでしょうか。

がんが再発して入院して1ヶ月と17日。
車で片道30分以上ある病院へ、ほぼ欠かさず毎日。
父を連れてお見舞いに行って。
それまでも、朝めちゃくちゃ早い通院に、1回につきほぼ丸一日かかる抗がん剤治療、
要介護認定やデイケアの手続き、その他諸々の手続きを、全部私が担って。
正直すんごい面倒くさかったけど、放り投げて誰かに押し付けたかったけど。
でもきっとそうしたら、絶対後悔しそうだから。
やってあげなきゃいけないことはなんでもやってきた。
欲しいと言われたものはできる限り与えてきた。
「その時」が来たら、絶対後悔したくないから。

なので、実際こうなってみても、
びっくりするほど涙が出なかった。
去年子猫が亡くなった時は、あんなにも泣いたのに。
親が亡くなっても涙ひとつ出ない。薄情かな。
でもそれくらい、後悔なくやりきったからだと思う。
育ててもらったぶん、返せたかなあ。
子供のころは、姉にくらべたらものすごく手のかかる子だったし、私。
手もお金もかかったと思うし。
それなのに孫の顔も見せられなかったし。
だからせめて介護くらい、なんでもやってあげたくて。
返せたかなあ。

 

▲葬儀屋さんが作ってくれたスケジュール表

 

5月24、25日に葬儀・告別式すべて終えました。
当たり前かもだけど、父が一番寂しそうで今にも倒れそうなのを堪えて
なんとか日常を送ろうとしているのが見ていてとても心配なので
これから、後悔ないように支えていきたいと思います。

 

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